備忘録

科学技術論を専門とする大学教員・研究者である林真理の教育、研究、生活雑記。はてなダイアリーから移行してきました。

STS学会

 科学技術社会論学会(10日、11日:東京工業大学)に参加してきた。いくつか興味深い報告を聞いたが、予想通りにおもしろかったのが「病気や障害をもつ身体を介した技術知と生の技法」ワークショップだ。
 まず、疾病や障害に対する医療モデルとそれに対するアンチテーゼという二元論に陥らないようにしたいという、シンポジウムの趣旨に大変関心を持った。こういった見方は、反医療モデルにおいて敵視されてきたテクノロジーそれ自体に対して、むしろ逆に可能性を見いだすことによって、使用者本位に問題を捉え直し、実践の枠組みを組み換えていくことをねらっているのだと思う。確かにテクノロジーを無視できないという現状があり、そこに多様で豊かなリソースが存在するという見込みはあるので、画一的な対処を行う行政や、開発者本位の技術開発を見直すところからスタートし、当事者が中心となってテクノロジーを上手に利用することで疾病や障害に対処しようというのは現実的な展望であるように思われる。
 ワークショップでは、少なくとも2つの具体的な方向性が示されていた。
 1つがピアサポートである。個別技術の利用法について、メーカー・開発者側からの指示を待つのではなく、上手な扱いの「技法」を個人レベルで工夫し、それを患者・障害者のネットワークの中で広げていこうという方向性である。こういった方向はいわば「プロ患者」(あるいは「プロ患者家族」)を生み出し、そもそも受動的な存在と見なされてきたpatientを、むしろ能動的な行動主体へと変えていくのだろうと思う。
 もう1つの方向は、開発段階における患者・障害者の主体的関与というものである。こちらも一方的なテクノロジーの受け手となるのみならず、テクノロジーの開発および変容のプロセスに対して主体的にengageしていこうとするものだと言える。こちらも主体性を重視する点は、ピアサポートのケースと同じであるし、さらにテクノロジー開発の現場という深部に迫っていこうとする点で徹底している。
 ワークショップでは、こういったことを具体的な事例を通して知ることはできた。ただし、それでもいくつか不安な点が思い浮かばないでもなかった。
 まず1つは、「弱さ」が否定されてしまわないかということだ。強くなる方向自体は悪くないのだが、そうなれない者が否定されることのない環境、つまり弱さが肯定される環境というのも大切だと思う。
 もう1つの問題点は、結局のところテクノロジーの側の論理に巻き込まれるということがないのかどうか、それによって別の可能性が曇らされるということがないのかどうか、というところだ。結局のところ、市場におけるテクノロジー開発は、ユーザーの希望を取り入れながら進行するしかないし、うまく取り込むことができればできるほどさらに開発を進めることができるようにもなる。その意味では、当事者参加に基づくテクノロジー開発も、通常のそれと何も変わらないのではないか。市場原理に巻き込まれてしまうのではないか。(ただし、これを言い始めると、医療モデルに対するアンチテーゼという方向に舞い戻ってしまうのだが、警戒心は忘れないようにしたいものだとは思う。)
 これらの点が、もう少し時間があれば述べて欲しかったところだ。
 実のところ、こういったテクノロジーにもう一つの可能性を見いだす議論というものに対して、関心を持つようになってきたのは、この2,3年のことだ。しかし、時にはすがりたくなるような気持ちにすらなってくることがあるくらいに興味が出てきている。多分それはもう8年以上工学部の学生を教え続けているからだと思う。テクノロジーのあり方に対する絶望的な記述的言説ばかりを生産することを、教育や研究の場で行っていき続けることが心理的に難しくなってきているからなのではないだろうか。
 居心地の悪さに耐えられない場合、環境を変えるか自分を変えるかの2つに1つということだ。