備忘録

科学技術論を専門とする大学教員・研究者である林真理の教育、研究、生活雑記。はてなダイアリーから移行してきました。

医学は社会科学であり、政治は大規模な医学以外の何物でもない。

 19世紀ドイツの著名な医学者、人類学者であり、公衆衛生に重要な貢献をしたRudolf Virchowの有名な言葉です(*)が、同じ文章のその直前にはこんなことも述べています。「医者ほど民主主義と社会主義の支持者となるものはおらず、医者が最も左翼的であり、一部は運動の先端にいたとしても、まったく不思議なことはない。」

 病の広がりを防ぎ、人々の健康を守ろうとすれば、医師としては必然的に民主主義かつ社会主義(≓福祉国家)の政治体制を主張することになるというわけです。細菌学以前の古い時代の話ではありますが、原因は不明でも感染症の存在は医学の対象となっており、さまざまな対策が行われていました。そして、近代社会一般における政治と医学の深い関係性を今でもよく示しています。

 そういった観点から考えると、感染症に対する医学的な取り組みが成功するかどうかは、まさに政治の問題なのであり、そこではとりわけ民主主義と福祉国家のあり方が試されているということになります。行き倒れの死亡者が新型コロナウィルス感染症であったことが判明するといったできごとは、感染症の蔓延防止が不十分であることと同時に、社会的弱者を包摂していく政治の失敗を示していることになります。両者はまさに重なりあっているのです。

 また、行動変容が重要だと言われますが、その行動とは三密を避けるといった直接的な疾病予防の観点からだけでなく、私たちがどのようなコミュニケーションを行うか、どのように専門家を活用し、行政にどのように声を届けるのかといったところにもかかわります。政治と言っても立法府や行政府の活動だけが言うわけではなく、「コロナ圧」に対応するガバナンス全般が問題になってくるでしょう。

 個人は、そういった全体の動きを意識しながら、自分に可能な、最適行動を見つけていくしかないと考えています。家にいます。できることはします。新入生のために。

 なお、行動履歴が逐一把握されるなど、個人の私的行動がビッグデータの海に投げ込まれることで管理が成功する未来像に期待する向きもありますが、古いウィルヒョウの教訓に従うなら民主的なデータコントロールなしでうまくいくとは考えられません。ここで「うまくいく」というのが単に疾病の克服だけを意味しないことは、もちろん上述のとおりです。

(*)Gesammelte Abhandlungen aus dem Gebiete der öffentlichen Medicin und der Seuchenlehre. Teil 1, S.34.