備忘録

科学技術論を専門とする大学教員・研究者である林真理の教育、研究、生活雑記。はてなダイアリーから移行してきました。

「国民の理解の増進」と「信頼の向上」

 今更ながら裁判員制度について関心があっていろいろ見ていたところ、「裁判員の参加する刑事裁判に関する法律」の第一条に「この法律は、国民の中から選任された裁判員が裁判官と共に刑事訴訟手続に関与することが司法に対する国民の理解の増進とその信頼の向上に資することにかんがみ・・」と書いてあって、強い既視感を覚えた。特に「国民の理解の増進」と「信頼の向上」というところだ。
 裁判員制度自体はそれほど悪いものではないと思う。司法の世界の閉鎖性を壊すとか、司法の公正さが向上するという考え方もあるからだ。でも、第一条はそんなことは目的ではないと書いてある。司法の側が新しくなるのではなく、国民に理解と信頼を求めた文面になっている。「信頼性の向上」と言わず、「信頼の向上」と述べるなど、言葉の端々にまで、押しつけがましさが漂っている。
 既視感を覚えたのは、似たような話を別に知っているからだ。
 例えば以下の文部科学省のページ(PDFファイルなので重い)を参照。
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/14/07/020709ad.pdf
 「施策目標6−3 国民の科学技術に対する理解の増進及び信頼の獲得」という言葉が見える。
 どちらも、信頼を失った専門家が、その原因を非専門家の理解不足のせいにして、信頼を取り戻そうと試みているように思えてしまう。科学技術と司法制度というまったく別の領域で同じ図式が見えた。
 誰も皆、自分のやっていることの問題点には気づきにくい。互いに自分とは無関係の方の問題についてよく勉強すれば、問題がわかりやすくなるのではないかと思った。