備忘録

科学技術論を専門とする大学教員・研究者である林真理の教育、研究、生活雑記。はてなダイアリーから移行してきました。

植物を育てる理由

 なぜ植物を育てるようになったのか自分でもよくわからないのだが、多分クリスマスツリーが引き金になって、今年の春から目覚めた。
 南のベランダにはナスが数鉢。プランタ1つにトマト。以上、野菜の皆さん。西側のベランダには、アサガオとヘチマとゴーヤ。こちらは、蔓性植物。今日もまた、ヘチマとゴーヤのツルが網戸に巻き付いたのをはずす仕事。ちょっと出だしが遅かったようで、いずれもこの季節にしては、伸びが遅れている。
 その他、出窓(と言うより窓枠)には、マリーゴールドヒャクニチソウニチニチソウの小さな鉢。キッチンには、カイワレ大根
 植物を育てる教育に理科以外の意味があることはよくわかるし、園芸療法というのがあることも知っている。たしかに、パソコンにしばらく向かったあと、ふと手と目を休めて鉢植えに目をやると、気持ちが落ち着く。
 手のかかる動物がいなくなったから(残された15歳ネコは、比較的手のかからない方)かとも思ったが、もっと手のかかる3歳児がいる。
 3歳児に見せたいというのも理由かも知れないとも思う。自分が庭のある田舎の家で育ったのと比べると、この3歳児はマンション暮らしのため「庭」が不足している。ミッフィー(福音館では「うさこちゃん」)だってお父さんに「畑をやらないか」と言われてニンジンを収穫して食べているし、ぐりとぐらの屋敷には明らかに野菜の余剰生産があるので、きっと交換による利益を得ているに違いない。真似をしたいと思うのも当然だろう。
 そういえば、私の父は今も庭にいろいろ植えている。父の父もまた、晩年山のような鉢植えの世話をしていた。私もそういう歳になってきたということかも知れない。
 ちっぽけな種と怪しげな培養土からグリーンの組織が生長してくる様子は、まさに自然魔術。生命力というものを見せつけられる。それをいつも見ていたい、確認していたいという気持ちもきっとどこかにある。