備忘録

科学技術論を専門とする大学教員・研究者である林真理の教育、研究、生活雑記。はてなダイアリーから移行してきました。

映画『100,000年後の安全』(日本語吹き替え版)本編

 高レベル放射性廃棄物の問題は、今後の原子力発電にどんな立場をとろうとも、避けて通れない重要な問題だ。これまで原子炉が運転されてきた以上、既に大量の廃棄物が存在するという事実は変わらないのだから。ところが、フィンランド地層処分(地下深くへの処分)施設を扱ったこの映画を観て「原発反対」へと意見を変えたという人もいるらしい。どうしてそういうことになるのかその理由が想像できなかった。いったいどんな映画なのだろうか。そんな疑問もあって、ずっと観てみたいと思ってきた。そして、アップリンク社のおかげにより、出不精かつ何事も後回しにしがちな私にもそのチャンスが訪れる。Youtubeに期間限定でアップロードされたのだ。(以下ネタバレあります。)

 全編がほぼインタビューで構成されるフィルムの中では、楽観的な説も主張される。完全に自己完結型の施設であり、いったん埋めてしまえば心配することは何もない。上に人も住める。何も知らない未来の人が廃棄物を掘り出してしまうという可能性については、それだけの技術をもった人々なら容易に危険性に気づいて回避できると言われる。逆に、危険性に気づけないレベルの知識しかない人々は、廃棄物にたどりつく技術もないだろう。そんなふうに考えれば、とりあえず未来世代に不幸の種を残したわけではないと納得できる。なかなか理屈の通った説明だ。他方で、もし悪意をもった犯罪者が現れたとしたら、彼らに宝の山を残すことにならないかという可能性も指摘される。また廃棄物の存在を伝えていくことを義務づける法律も、フィンランドという国が続く限りでしかない。10万年以内に氷河期が訪れると想定される。いったんフィンランド無人の地になるだろう。こんなふうに、不安の可能性を挙げだしたら切りがないのもたしかだ。そして、いろいろな問題点の指摘はありながらも、高レベル放射性廃棄物の処分方法について、それしかない方法として地層処分フィンランドでは選ばれたこと、さらに念のためいろいろな安全対策も施されていることがわかる。
 この映画を観ると、人間は取り返しのつかないことをしてしまったのだという、後味の悪い気持ちになるに違いない。気の遠くなるような未来のことを考えることを強いることは、たしかにすべきではなかったことだと思われる。また、世代間倫理という考え方を用いるなら、これほど長期にわたって後の世代に影響を与えてしまう(後の人々の自由を奪ってしまう)ことは、倫理に反すると言わねばならないだろう。
 それに対して、そのことがこれからすぐに原発をやめようという主張につながるかどうかは、意見がわかれるのではないかと思われる。既に後の世代に迷惑をかける可能性があるということが確定してしまった以上、その行為を今さらやめたって迷惑の度合いはそれほど変わらないのだから、続けたってそれほど悪いことはないと考えることもできる。他方で、迷惑をかけることがはっきりした以上、その行為は辞めて反省を示すべきだという考え方もあるだろう。人類が続く限りこの場所に危険な物が埋まっているという事実を語り継がなければならないという、後の世代への無理難題を課してしまったことへの強い反省の気持ちが、もうこれ以上はやめようという自制を促しているのだと思う。きっとこのような気持ちになるのは、これまでこの技術の恩恵を受けてきたと自覚する世代であればこそではないだろうか。
 いずれにしても、地層処分という問題の重要性を認知させるのに、これほど良いフィルムはない。NUMO(原子力発電環境整備機構)は、「知ってなっとく!地層処分」(*)だけでなく「100000年後の安全」を推奨したら良い。
(*)理解促進活動(public acceptance活動)のためのDVDで、私ももらいました。http://www.enecho.meti.go.jp/rw/dvdindex.htmlから観られます。