備忘録

科学技術論を専門とする大学教員・研究者である林真理の教育、研究、生活雑記。はてなダイアリーから移行してきました。

サイボーグ技術が人類を変える

 11月5日放映のNHKスペシャル(以下のサイト)のVTRの入手に、やっと成功。
http://www.nhk.or.jp/special/libraly/05/l0011/l1105.html
 まず最初に私にDVDをわたしてくれたのは、非常勤先の東洋大学文学部哲学科2年生のKさん。私が見たいと思っているに違いないと考えて、録画したものを学校にもってきてくれてありがとう。でも、私のもっている機器類では再生できなかった。
 その後、工学院大学の機械システム工学科3年生のAさんから、大変なインパクトを受けたと聞かされる。最後は、2部機械システムデザイン学科4年生の社会人Mさんよりゲット。タイトルだけは知っていたがあまり気にしてはいなくて(立花隆だし)、最初はあまり観る気がなかったのだが、3人の学生に同じ番組のことで話しかけられた(彼らは皆、私の関心対象には詳しいははず)ので、これはきっと何かあるに違いないと思って観ることにした。
 感想だが、臓器移植や再生医療など「同じ生命である他者」が利用される問題と比べて、機械によって生命の可能性が拡張されるサイボーグには、問題の重要性が今ひとつ感じられない。人間の可能性は無機的な物質によって拡張されていくだろう。その技術は今後、加速度的に進むかも知れない。しかし、そこには、人々が命の価値を秤にかけることを求められ、さらにいっそう人々をそういった方向に駆り立てるように社会が動くという、いわゆる生命倫理固有の問題性は存在しない。そういう意味で、深刻さは見えてこない。
 例えばメモリで記憶を増強できるとしたらどうなるだろうか。大量に記憶できることが本当に人間の幸福につながるのかどうかは、わからないのではないか。もちろん一部には、技術的な面白さから可能性を極めていこうとする人がいるだろう。また、欠けた機能を補うことで障害を負った人の活動可能性を高めることもできるだろう。しかし、もし人がバランスのとれた生のあり方を求めているとしたら、多くの人間にとっては何の意味もない技術なのではないだろうか。(これは遺伝子増強技術に関しても同様なのだが。)もっとも、「人間が人間でなくなる方向」へと自らの望んで進んでいくということが起これば、それは不幸なのかも知れないが