備忘録

科学技術論を専門とする大学教員・研究者である林真理の教育、研究、生活雑記。はてなダイアリーから移行してきました。

受精卵診断報道再び

受精卵診断、さらに15組実施 神戸の大谷産婦人科」というニュース
http://www.asahi.com/health/medical/OSK200411050016.html
 ニュースになると、「治療」を求める人がさらに集まってくるのではないだろうか。こういう報道の果たしている機能というのは、いったいどういうものなのだろうと考える。
 読む人は、(1)ある技術(ここでは「受精卵診断」)の存在、(2)その技術がどこで実施されているかということ、(3)その技術に問題があるらしいこと、(4)その技術の問題点は何かということ、のうちどこに注目するだろう。特別この問題に関心がない読者でも、繰り返し同じようなニュースに接していれば(1)→(2)→(3)→(4)と関心が進行していくのかも知れないが、次々に新しくいろいろな問題が登場してくるようでは、読み手の中にそういう深化(付加?)が生じる余地はなかなかないのではなかろうか(そもそも、この短い記事には(4)は出ていないと思う)。
 この話だけに限らないのだが、決して意図していないにもかかわらず、技術と報道の回転ギアが、変な方向への推進力を生みだすような、とても不適切なかみ合い方をしている場合がある。そんな気がしてならない。