備忘録

科学技術論を専門とする大学教員・研究者である林真理の教育、研究、生活雑記。はてなダイアリーから移行してきました。

霊と臓器移植

 臓器移植の話をした授業後のレスポンスシートで、次のような話を教えてくれた学生がいた。霊視のできる友人によると、臓器提供を受けた人の霊では、その臓器の部分が見えないのだと言う。ドナーではなく、レシピエントの方の話だ。
 これは、提供臓器によって身体機能の一部が補われたとしても、それが本当の意味でその人のからだになっているとは見なせない、つまり臓器の本当の帰属先は絶対に変わらないということだろうか。
 あるいは、提供された臓器は「あの世」に持って行けるものではないということだろうか。コンタクトレンズや松葉杖、あるいは洋服と同じような「装着物」という扱いなのだろうか。
 また、いくら霊視と言っても、内臓が透視できる必要はないのだから、提供を受けた臓器で生きるという「引け目」のようなものが、その存在を強く意識させるということなのだろうか。それとも、移植される代わりに摘出されてしまった臓器へのこだわりだろうか。
 いろいろ考えたがあまりよくわからない。
 しかし、霊の見え方に時代の影響が見られること、「形」を伴った霊という日本的な見方が臓器移植に対する考え方に影響を与えている可能性について知ることができた。