備忘録

科学技術論を専門とする大学教員・研究者である林真理の教育、研究、生活雑記。はてなダイアリーから移行してきました。

ブルートレインと言えば・・・

 一昨日あたりから「はやぶさ・富士」のニュースをたくさん見たが、ブルートレイン言えば私は「あさかぜ」。
 理由は簡単。山陽本線倉敷駅付近に住んでいた鉄道好きの小学生にとって、早く起きた夏休みの朝に勇姿を拝むことのできた東京発の列車だったからだ。「さくら」「みずほ」「はやぶさ」「富士」は、夜明け前に通り過ぎる。あさかぜ1号も、日の出に間に合わない。やっと明るくなってきた時間に、線路からすぐの自宅の2階北側の小さな窓から、列車が通り過ぎるのをながめることができたのは、あさかぜ2号と3号だけだった。倉敷発の時刻で、どちらも5時少し前。
 なお、上りの東京行きブルートレインは21時以降だったので、これもしっかり見るのは無理。また、関西・九州間のブルートレインは、下りこそ夜の通過だが、上りは朝方たくさん目にできた。しかし、やはり東京から来ているというだけで、「あさかぜ」にはそれらとは違うときめきを感じた。
 ところで、こんなことを書いているからといって決して寝台特急が好きだったというわけではない。どちらかというと、急行列車に愛着を持っている方だった。6号車から始まるくせに増号車がある奇妙な編成の(たしか)「西海」とか、24時間以上かけて東京から西鹿児島(当時)まで行くのに寝台車のない「桜島・高千穂」といった、編成の妙が楽しめるのが急行だったからだ。まっすぐ山陽本線を通らないで、赤穂線とか呉線を経由していく屈折ぶりを見せるのも、たいてい急行だ。
 ちなみに、山陽新幹線がとりあえず岡山まで開通(1972年3月)してから、その後博多まで全線開通(1975年3月)するまでのおよそ3年間は、山陽線特急・急行列車の黄金時代と呼ばれているらしい。私の軽い鉄道熱は、ちょうどその時代と重なっている。個人史というより社会史的に説明されるべきことかも知れない。