備忘録

科学技術論を専門とする大学教員・研究者である林真理の教育、研究、生活雑記。はてなダイアリーから移行してきました。

ハンナ・アーレント

 たまたま見つけた時間に、行って帰って来られそうなのがこれということで、その日思いついて観た映画。といっても、紙の上では親しみを持っている、アレントハイデガー、ヨナスといった前世紀の哲学史上の重要人物が、創作上とは言え3次元になって現れてくるのだから、気にならないと言えば嘘になる映画だ。(以下ネタバレあります。)
 ストーリーはよく知られている、アイヒマン裁判の話。イスラエルの法廷はヒトラーの忠実な部下アイヒマンの裁判を、人類に対する大罪を働いた悪魔への報復として演出しようとするが、裁判を傍聴したアレントは、アイヒマンの「凡庸さ」にショックを受ける。命令に従っただけだとして、罪の意識を見せない「役人」の中に、平凡であること、考えないことの罪深さを読み解こうとする。そして、虐殺に手を貸してしまったユダヤ人の同胞も同じ罪を持つと示唆する。傍聴記を発表したアレントは、同業の哲学者たちの非難や、同じユダヤ人仲間からの中傷を受けつつも、力強く自分の主張を貫く。わかっているストーリーであっても、主演バルバラ・スコヴァの演技が見事で感動する。なお、親ナチス的主張を公言した師のハイデガーを見限った過去を持つアレントが、今度は自身の主張ゆえにヨナスから絶縁を突きつけられるなど、アレントを巡る(男性)哲学者たちとの人間関係も、多分この映画が見どころとして描こうとしたものだと思う。
 余裕を持って到着したがあわてて列に並ばざるをえない混雑ぶり。客層は、私も若者扱いされそうな年配者集団。おじさんばかりなく、凜とした感じの年配女性の姿も多い。そういった(私を含め)古い人に懐かしさをもたらすのは、喫煙シーンの多さだ。これほど主人公が喫煙する映画は今どき珍しいのではないか。R指定にならないか気になるほどだ。そして、紫煙くゆらせての哲学論争や携帯電話の存在しない大学の教室と同様、魂をかけて自らの学問的な主張を貫くその態度もまた、哲学や思想と言われる言葉たちにまだ生命があった前世紀の雰囲気を思い起こさせる。映画館は、答えのない暗黒の問をさけながら慌ただしく時間が流れていく21世紀に現れた異空間となった。
 『イェルサレムアイヒマン』(みすず書房 1969年)をロビーで販売したら売れるのに、と思ったが見当たらないようだ。ここが「岩波ホール」だから?