備忘録

科学技術論を専門とする大学教員・研究者である林真理の教育、研究、生活雑記。はてなダイアリーから移行してきました。

情報倫理教育

 コンピュータウィルスを作成して広めた関西の某大学の大学院生が、著作権法違反で逮捕された問題で、大学側の謝罪会見に気になるところがあった。「今後も情報倫理教育を強化する」というところだ。
 果たして情報倫理教育は、このような事件を防ぐのに有効なのだろうか。
 問題は倫理ではないという意見もあるだろう。容疑者の大学院生は、自分が悪いことをしていると知らなかったはずはないと思う。ではなぜそんなことをしたのかというと、自宅からアクセスしてもWinnyだったらIPは抜かれないと思っていたからだ。だったらこういった事件をおこなさないですむために身につけおくべきものは、倫理というよりも情報技術面での知識だったのではないかという意見もあるかも知れない。その意味で、今回のケースは情報倫理「以前」あるいは「以外」の問題と言えなくもない。
 たしかに、情報技術に関連する知識自体はとても大事なものだ。知っているにこしたことはない。ただ、それに加えて身につけておくべき大事なこともあるのだと思う。それは、自分のやったことがどんな影響をもたらし、結果としてどのような問題が生じるかということをいろいろと考えてみることができる想像力なのではないだろうか。倫理教育というものがあるとしたら、そういう想像力を育てることが大事なのではないかと考える。あることが悪いことだということをただ単に知識として知っているだけではなく、どのように悪いのかをきちんと理解していることが必要なのだと思う。こういった想像には、技術的な知識に加えて、社会制度や人間の振る舞いに関する基本的知識もまた必要とされるだろうから、社会や人間についてよく知っているということが基本になるとも言える。
 ただ、そういう想像ができるようになったとして、その上で実際に何かをするかしないかということまで大学における「講義」スタイルの教育で何とかできるものかというと、それはちょっと疑問でもある。いわゆる「倫理教育」に果たせる役割がないわけではないとしても、そこに責任の中心が置かれることがもしあるとしたらちょっと違うのではないかという気がする。
違った見方から問題を指摘している下記サイトもどうぞ。(ニュースソースもあります。)
大学プロデューサーズ・ノート
http://www.wasedajuku.com/wasemaga/unipro-note/2008/01/post_17.html
 大学に所属する人間としては、「大学は悪くないモン」と言っていると思われそうな言い方はできるだけしたくないのだろう。その気持ちはよくわかる。それでも、ただちに結論を出すのではなくて、新しい種類でありしたがってどのように対処すべきか議論が必要なこういった種類の問題について、これから真剣に検討していくというところに重点を置くべきなのではないかとも思う。