備忘録

科学技術論を専門とする大学教員・研究者である林真理の教育、研究、生活雑記。はてなダイアリーから移行してきました。

謎の転向生

 人はなぜ転向するのだろうか。人間が環境によって作られるのだとしたら、単なる環境の変化のことを意味しているのか。それでも転向する人としない人がいる。何が違うのだろうか。
 英語圏の日本文学研究者がpolitical conversionと訳しているのを見つけたが、conversionには「改宗」のニュアンスが強かろう。ちなみに、英語版のWikipediaには"tenko"という項目があって、「a Japanese term referring to the ideological reversal of numerous Japanese socialists who, between 1925 and 1945, renounced the left and (in many cases) embraced the "national community."」とある。しかし日本語としては戦後世代にも援用されて、「全共闘世代の転向」などと言う表現も見られる。
 急に変わるから転向と呼ばれるが、ゆっくり(あるいは気づかれないように)変わったらそう呼ばれないだけなのかも知れない。本人はそうじゃないと思っていても、回りからはそう思われるもののようでもある。「裏切り」といった否定的なニュアンスが含まれているように私は感じているが、必ずしもそうではないのだろうか。(吉本隆明の自己評価は開き直り?)極端から極端に振れること、特定の組織への帰依、特定の活動への熱狂といったものが存在した時代だからこそ「転向」がありえたのだとしたら、もはや左からの転向なんてありえなくない?
 ちょっと古い文章を読んでいます。暖かくなってきて、ベランダではヒヤシンス、デイジーが咲いています。