備忘録

科学技術論を専門とする大学教員・研究者である林真理の教育、研究、生活雑記。はてなダイアリーから移行してきました。

ビッグデータは人海戦術

 通行人数の調査というアルバイトを、大学時代、多分まだ未成年のときに、何度かしたことがあった。道ばたにパイプ椅子で腰掛けて、性別とターゲット世代か否かを目視で瞬時に判定しつつ、人数をカウンターで数えるという、簡単なお仕事だった。ロッテにロッテリアがあるように、かつて森永製菓が持っていた「森永LOVE」というファストフードのチェーンショップの出店調査のためのものだと聞かされた。どう見ても中高年ばかりが行き来する場所だということに簡単に気づいたときには、データとり続けて意味があるのかな、休日になっても変わりそうにない(休日と平日の2回調査だった)と思いつつ、でも最後までやれば決まったお金がもらえるアルバイトなのでと、続けた覚えがある。その場所はその後何度も通ったが、もちろん店などできるわけがない場所だった。何であんなところが候補になったのかよくわからない場所だ。また、別の場所で調査したときには、近所で何やらイベントがあって、その会場から大人数の女性高齢者があふれだしてきたため、特定の時間帯における大変不自然な「女性かつ非ターゲット」のピークを作り出して、これはさすがに特別事態との報告コメントを残した。なかなか標準的なデータはとれないものだと感じた。
 こんなことを思い出したのは、とうとう私も「Tポイントカード」を作ったからだ。過去にツタヤの会員だったとき作ったことはあったが、とっくに失効している。きっかけはソフトバンクの携帯電話の機種交換で、作りますねと有無を言わせず作ってくれたのだが、このカードを作れてホッとした。というのも、いつも行くスーパーで「Tポイントカードはお持ちですか」「あ、けっこうです」という会話を、絶対私の顔を覚えているはずの店員さんと毎回繰り返してしまうことが、何となく嫌で、だからといって混雑した夕方のスーパーの列を乱してカードを作ろうという気にもなれないという状態が1年以上続いていたからだ。一度たりともその言葉を言われなかったことはないので、店員さんにはそう言わなければいけない義務が課せられているのであろう。したがって、これはCCCとスーパーチェーンの戦略に対して、私が根負けした状態と言えるかも知れない。いずれにしても、これでカードを出すことができるようになって、あの無意味な「合い言葉」を言わなくて済むという、安心した気持ちになることができた。(ちなみに、私が「持っていません」という答えをしないのは、そうすると「お作りしますか」というレスポンスが来ることになり、会話が二往復することを学習したからである。)
 広く人からデータを集めるためには、まず人を「輪」の中に取り込まなければならない。人は最初から「輪」の中にいるわけではないし、また簡単に忘れて抜けたりするので、その取り込みを常に維持し続けなければならない。もう少し自動的に人を中に誘い込めるようになっても良いと思うのだが、そこまでのインセンティブは働いていないので、人を通じての直接勧誘という人海戦術に頼っている。既に存在する情報を使って何かしようというのではなく、新たに集める情報をもとにしたビッグデータと言われるものは、末端に収集窓口のところでは人に頼らざるをえない、大変原始的で、その維持にコストのかかるシステムによって収集されているのではないのだろうか。「Tカードお預かりします」から始まって、私にカードを返してくれるまで、おおよそ4秒かかった。時給900円ならちょうど1円分である。私がしたわずかな買い物のデータ収集に、本当に1円分の価値があるだろうか。データの収集量が増えると加速度的に価値が増大するような錯覚があって、バブルが膨らんでいるだけではないのだろうか。そんなことを考えさせられる。
 データ収集装置として働くとき、人はその意義に疑問を持ちつつも、作業を黙々と続けるしかない。それは、私が学生時代のアルバイトで感じたことだ。いまや、規模の大小はいろいろだが、「データ収集労働」という種類の労働があって、私たちは皆労働時間の一部をそれに割いている。大学教員だって、成績だけでなく、教育改善のための諸データ(授業アンケート、改善報告書等)の収集に関与している。しかし、しばしば目的や意味が曖昧なまま、データは集められる。そういう労働に私たちがどれだけ耐えられるかというのが、データ収集社会での問題になるのではないだろうか。
 私たちはデータ提供者つまり観察対象として存在していると同時に、それだけではなくまた、データの収集装置としてもさかんに機能している。実験協力者(被験者)であると同時に実験従事者ともなる。監視社会とは、自らが皆監視する側に立つ社会でもあると言えるだろうか。