備忘録

科学技術論を専門とする大学教員・研究者である林真理の教育、研究、生活雑記。はてなダイアリーから移行してきました。

研究会終了

 こちらの研究会が無事終了。
 今回で7回目だが、第6回のA見さん、第5回のI崎さん、第2回のM口さんと、それぞれ報告者だった方が参加。その他、毎回参加している方に、国文学のN沢さん、今はT大院生のN尾さんもいて、貴重な、しかしゆるい連続性が保たれている。
 午前中は3歳児の相手で疲れ、大学でもいろいろあったので、終わったら疲れて、早めに引き上げた。
 メディアのバリエーションの増加がSFをどう変えるのかとか、長山さんの観点から「銃夢」を見たらどうかとか、いろいろな論点を思い付いたのだが。
 最後の方で、フランスでは、ナノテクはGMOみたいなものだという話が出て、これは実はちょっと関心があって、前に個人的に話したときに聞いたところ。
 あと特に今回のテーマとは関係ないのだがちょっと考えさせられることとしては、科学史家が、科学史家じゃない人の発言について、そこは専門家からみると違ってるんだみたいな話をすることがよくあるのだが、これというのは、科学者から見たらそれってちょっと通説と違うよというのと、どこが違うのかということがある。今回のDさんの話は「科学」と「SF」の境界の曖昧化というテーマで、通常考えられるように科学の発展がまずあって、それがスピンオフしてSFに取り入れられるという一方ではなく、科学はむしろSFの描いた線をなぞって進んでいるという見方があって良いということだろう。一般的にいうと、物語というのは複線的なものということだ。たとえば、社会科的にはアメリカ政府が国家の威信をかけ、宇宙開発競争に血道をあげ、月ロケットを開発したということになっているが、NASAの技術者から見たら、月に人を送れたらすごいだろうなあという思いつきがまず始めにあって、「国家の威信」という呪文をかけて、大統領を動かしたら実現が可能になったということでしかないというのと同じだ。科学史をやっている人のあいだではそういう解釈の多様性という話がわりと通用している一方で、正しい科学史と間違った科学史を分けようとする歴史家的な専門家意識を働かせる傾向もあるが、それはどうやって同居できているのかという、自分への疑問だ。
 ついでだが、専門家集団という形で科学の正統派とそうでないものという境界付けができあがっているのと同様に、少なくとも日本では「SF業界」というようなものがあって、しっかりと線をひこうとしているところがあるということをNさんの話の端々から感じることができた。