備忘録

科学技術論を専門とする大学教員・研究者である林真理の教育、研究、生活雑記。はてなダイアリーから移行してきました。

ちょっと時間がたったけど

 ちょっと時間がたってしまったのだが、6月19日のワークショップで、「市民が創る循環型社会フォーラム」の報告を聞いて思ったこと。
 ちなみに「フォーラム」のウェブページは以下。
http://www.junkanforum-nagoya.info/
 気になったのは「こんな対策をたてれば、こうなる」という未来像=「シナリオ」の作成の段階で事実レベルの論争がどうだったのかということ。
 複数のシナリオが決まったあとで登場する「市民会議」は、シナリオ作成にはかかわれない。そうするとこの会議は、事実レベルでの問題を片付けた後に、価値観レベルの論争を行うことになる。しかし、「トランス・サイエンス」問題の難しさは、事実レベルの問題と価値観レベルの問題が区別しがたく結びついてくるところにある。臓器移植の場合で言えば、その効果に関する目算が賛成側と推進側で大きく異なってくるのだ。同様に、ゴミ削減の効果やそのためのコストに関する試算は、甘いものから厳しいものまでいろいろあるのではないかと思う。そういった点が一番論争になるところだと感じる。そういう問題をマスクして、限られた複数のオプションから市民会議に選択を求めても、それは回答に対して大きな誘導がかかった問になるのではないのだろうか。
 「ステークホルダー会議」と「市民会議」を分けるというやり方自体は非常に良いと思ったのだが、そのあいだをどうつなぐのかが難しいのだろう。