備忘録

科学技術論を専門とする大学教員・研究者である林真理の教育、研究、生活雑記。はてなダイアリーから移行してきました。

メモと記憶を頼りに、コメントへの応答覚え書き+α

*「贈り物」というより「信託物」ではないかというコメントについて
 単なる「物」ではなく、特別な意味を付与された対象という点については同じ。問題は、そもそも自分の身体は自分のものなのかどうかという点ではないか。自分が作り出したものは自分のものという考えがあるが、そのとき作り出す側の身体そのものは「所有権」の対象であるのかどうか。そうでなければ、作り出したものに対する所有権も疑いうるのではないか。リバタリアンの主張の中で私的財産を奪われない権利の主張は突出して重要視されていると思うが、そもそもそこに疑問をぶつけているのが「贈り物としての生命」ではないだろうか。
*サンデルのエンハンスメントや売買の許容基準が不明であり、新しいものに反対しているが古いものにはそうしないのではないかというコメントについて
 たしかにサンデルの主張の中には、「新しいものには反対しているが古いものにはそうしていない」ように見える側面があると思う。それはなぜなのかを考えると、社会が熟議の末に受け入れたという実績があるものについては正当化できると考え、まだそういった熟議が行われていないものについては態度を保留するという部分があるからではないのかと推測できる。したがって、社会における熟議とそれに基づいた合意を重要と考えるコミュニタリアニズムが、ときに伝統を守っている保守主義的に見えるという側面はあるかも知れない。ただし、それは伝統にしがみつき新しいものを拒否しようという態度ではないはずである。
*直観に訴えるより帰結主義的考慮の方が説得的であるという指摘について
 帰結主義的に問題を捉えることが不可能な問題が多数ある。とりわけ、科学技術がもたらすリスクについては、そういった問題が多数見られる。したがって、帰結主義はたしかに説得的であるが、それで十分であるとは思えない。私たちが納得のいく決断を下すためには、時間のかかる功利主義計算の結果を待つのではなく、そのときの信念にしたがって後悔のない選択をする必要があり、それは必ずしも客観的とは言えないが多くの人に共有される信念に基づいたものにならざるをえないのではないか。
*「哲学的人間学」は理想論的過ぎる、生物としての人間に関する知見や心理学の知見をもっと生かすべきという指摘について
 たしかに人間が「経済人」として行動する側面は大きい。(きっと、社会心理学や実験経済学はそれを示してくれる。)しかし、だからこそ、社会の制度設計にあたっては、そういった側面がむやみに発揮されないようにすべきなのではないのか。(もちろん自然主義的誤謬を犯すべきではないのは当然であるが、フロアから「生物はそもそも集団の一員として生きている」みたいなコメントもあったので、コミュニタリアニズムが社会ダーウィニズムと結びつく危険性があることがわかった。)
*日曜日の夜は「サザエさん
 朝は「プリキュア」を見るべき。giftednessに関する見方も変化すること間違いなし。
*以上、下記シンポジウムでしゃべったこと(+α)でした。
http://d.hatena.ne.jp/hayashi9192/20140308/1394231225