備忘録

科学技術論を専門とする大学教員・研究者である林真理の教育、研究、生活雑記。はてなダイアリーから移行してきました。

「能力」とは何か

 授業3週目が終了しました。
 所属部門の着任教員歓迎会に(短時間)出席したり、某「事務室」のウィンドウズパソコンの箱出し・設置をしたり、いろいろな理由で時間割を変更する学生の個別履修相談をしたり、就活に忙しい卒論生とのセミナーの時間と場所をとったりなど、まだまだ学期の始めらしいさまざまな細かい仕事が降りかかってきています。
 そこで問題になるのは、いろいろな人とのいろいろな約束を、どのように間違いなく、かつ合理的に設定していくかということです。既に決まっている予定を忘れて同じ時間に予定を入れたりしないようにすることが一番大事です。また、それぞれの人の空いている時間を予測しつつ時間設定の提案をしたり、ときにはペンディングにしたまま別の予定が入るのを待って調整をすることもあります。学内ではエレベータ移動もタイミングによっては時間がかかることが考えられるので、できるだけ上手に場所と時間をセッティングして、人に会うようにしています。
 そういった複雑な作業を、天性の忘れっぽさを持ち、筆記用具で文字を書くことの苦手な私が行うためには、テクノロジーの助けを借ります。グーグルカレンダーという技術は、あちらこちらから降りかかってくる仕事を何とかマネージしていく私の「能力」を構成する重要な要素になっています。またいろいろな調整をするためには、連絡も欠かせません。その連絡はメールという手段です。メールもカレンダーもグーグルという一つのサービスなので、つねに同時にログインしており、一方の情報をもう一方に引き継ぐことが容易です。また、大変幸いなことに(!)、連絡をとる相手はたいてい電子メールを使っているので、そういったことが可能になるのです。
 このように考えると、私の仕事を可能にしているのは、私という人間がもっている個人としてアビリティーというよりも、それも一部として含んでいるような、テクノロジーと人間の総体ということになるのではないでしょうか。逆に言えば、個人のアビリティーがどのようなものであっても(というのは言い過ぎかもしれませんが)、それを補うテクノロジーと人間関係があれば、その個人に帰せられる「能力」を構築することは困難ではないということになります。
 人の評価は「能力」によってなされるべきという考え方があります。しかし、そもそも人に帰せられる「能力」そのものがそれを引き出す環境によって変わってくるために、環境に依存しないその人固有の能力を評価するのは非常に難しいということにならないでしょうか。「難しいこと」は、必ずしも「できないこと」ではないし、また「すべきでない」ことでもないのですが。
 昨日は、そんなことを考えさせられるお話を聞きました。真摯に研究にしている方の話を聞くと、いろいろと考えさせられます。