備忘録

科学技術論を専門とする大学教員・研究者である林真理の教育、研究、生活雑記。はてなダイアリーから移行してきました。

ルーマンリスク論の再検討(科学社会学会)

20年以上前の著作だが、もうすぐ翻訳が出るというLuhmann(1991)(リスクの社会学)を巡ってのシンポジウム。「ルーマン読み」だけが聴衆ではない前提での報告のため、『リスク論のルーマン』(2003)は斜め読み、ルーマンの諸著作もほぼ耳学問な私にも、しっかり伝わってくる内容だったので昨日は出席して良かった。
 以下は、翻訳が出たら、ぜひ読んで解消したい疑問点メモ。
(1)帰責と法システム
 決定者と被影響者の見方の違い、とりわけ帰責を巡る対立に着目し、それがいかにして生じるかのメカニズムを明らかにしようとする「第二次の観察」には意義深いものがあるだろう。しかし、本来帰責を巡っては、正義・不正義という法(または倫理)の二値コードが関与してくはずではないか。今回の報告でそれが欠けているように思えた。というのも、法システムに重要な意味を持たせないで、決定者が「天災」を主張し、被影響者が「人災」を主張するという態度の違いの理由を明らかにすることは、それらを単に正当化することにつながるのではないかという危惧があるからだ。正当化の根拠には法システムがかかわってくるはずであり、またその法システム自体の正当性への疑問もある。ただし、こういった議論を持ち込むと、純粋な「第二次の観察」にはとどまらなくなるだろう。しかし、法システムを等閑視し、価値判断上の疑問を差し挟まないようにすることは、傍観(それも一つの決定である)という形で、帰責を巡る論争に関与することでもありうる。
(2)帰責に関する言説のダイナミズム
 実際に災害・事故が起こったとき、リスク認知の態度がどのように変化するのかというダイナミズム(通時的変化)が重要ではないかと感じた。天災・事故の発生は新たな知識の獲得である。他方で、依然として「無知」であることは残り、また知るべきことが増えるという意味で「無知」は増大さえする。新たな知識の発生は、アクシデントの後にも続くであろう。しかし、同一のシステムが残存している中で、あるできごとの生起を通じて、(たとえば制御可能なリスクであるとされていたものが一転して「想定外」と呼ばれるようになるような)認知上の変化が起こるとしたら、それは今後も同じようなことが生じるということを意味するのではないだろうか。したがって、過去を検証すると同時に未来を予想するという意味で、ダイナミズムの探求は重要になってくるのではないだろうか。
 本日は日曜日ですが某仕事で大学です。