備忘録

科学技術論を専門とする大学教員・研究者である林真理の教育、研究、生活雑記。はてなダイアリーから移行してきました。

同僚Y先生の思い出というほどでもない些細な日常

 もう10年以上前になるが、一般教養科目全般についてかなり組織的に学生にアンケート(紙!)をとったことがあって、その回答の中にY先生の名前をあげその授業を激賞したものがあったのを覚えている。いわく、いつも授業とまったく関係ない面白い話から始めて学生の注意を引きつけておいて、いつのまにか授業内容に入っていて知らない間に授業を受けていることに気づくというもので、学生を引きつけるそのテクニックが素晴らしいというものだった。アンケートに答えた学生も、なかなか良いところを見て、学んでいるものだと思ったことを記憶している。

 人前で話すのが苦手だという自覚のある私は、落語の「まくら」のように計算尽くで関係ない話のあいだを上手に橋わたししているのだろうと思っていたが、あるときY先生と雑談しているときに、どんな話題であっても自分の専門である経済学の話に変えてしまうことに気づいた。どうやら、細かい計算などなしに、ナチュラルにそういうことができる人なのではないかと思った。それこそすばらしい話術だ。また学者らしい振る舞いでもある。

 そんなY先生が亡くなった。2年半のあいだ、対面授業をやることを切望していた。学生の顔を見て話すのが、教師としてのやりがいだったのだろう。その気持ちを考えると無念でならない。

 この2年半、Y先生と私は、一度も直接会うことなく、Y先生が得意な通信手段である携帯電話のSMSと音声通話で会話をしてきた。Y先生の体調の他は、オンライン授業や校務に関する事務的な話ばかりだった。私のスマホには、Y先生とのSMSの履歴がたくさん残っているが、その内容は思い出というにはつまらないものばかりである。昨年度末一度だけ、ある職員の人が退職することに私の方から触れたことがあった。今の職場で仕事を始めたばかりの私に、何かわからなかったらこの人に聞いたら良いといってその職員の方を紹介してくれたのがY先生だったのを思い出してのことだった。それが唯一の事務的でない通信かも知れない。

 最後の電話の最後の話題もまた、オンライン会議についての事務的な話題だった。次回から会議参加のセキュリティが厳しくなる可能性があって、大学のZoomアカウントじゃないと参加できなくなるのではないかと伝えた。これはY先生のせいですからね(笑)とちょっと軽口をたたいたのが最後になった。

 冷たい私はすぐに忘れてしまうので、忘れないうちにどこかに書いておきたいと思って書いた。