備忘録

科学技術論を専門とする大学教員・研究者である林真理の教育、研究、生活雑記。はてなダイアリーから移行してきました。

授業最終日

 本日は前期最終日でした。といっても私は授業のない日です。でも、だからこそ、出勤していました。ちょっと変に聞こえますが、授業も会議も自宅から参加できるようになっており、授業と会議以外にもやることはいろいろあるので、授業も会議もない日時こそ「出勤」に最適の時間帯となっています。学内には、教室で実施される試験を受けにきていると思われる学生も多く、研究室で研究に勤しむ学生たちとあわせて、賑やかというほどではないけれど、大学には活気があふれていました。

 大学生たちの話し声の響くこのキャンパスで、普段の授業ではGoogle Meetの文字アイコン(下の名前から1または2文字で、組織の設定上変更不可能)として接している学生の誰かと、もしかすると私は今日すれ違ったかも知れません。でも、すれ違っていても、私はそのことに気づくことができません。

 逆に、マスクで顔の大半を覆った私を見ても、学生の方はそれが普段授業を受けている科目の先生だと気づくことはできないかも知れません。もしかすると、オンラインで声を聞き慣れた先生が「受肉」して実際にリアルな世界を歩いていることすら、あまり想像していないかも知れません。

 このようにオンライン授業が行われている世界と、リアルなキャンパスの世界は、同じ大学の活動でありながら、出会うことのない別世界として存在しているかのようです。

 ところで、大学の外はと言えば、一方で4年に一度の盛大なスポーツの祭典が開かれていながら、もう一方では緊急事態宣言で交流活動の自粛が求められているという、互いに矛盾した世界が存在しています。

 画面を通して体験するできごとは、別世界のもののようにも感じることができます。特に、無観客で行われる試合は、映画のセットの中で行われているようにも思えます。

 周りを見回してみれば、私と同世代で東京住人は、予約に何時間もかけて、できる限り早めの予防接種を確保しようと必死になっています。それが感染したら危険な「50代のリアル」です。身近なところでは、クラスターの発生の話も聞こえてきます。それが「10代のリアル」です。私も、ワクチンに期待しながらも、ただただ身を縮めてパンデミックが通り過ぎるのを待とうという気持ちです。

 そんな中で、スポーツの祭典が東京という狭い面積の中で同時並行的に起こっているのだということに気づかされると、そこに矛盾を感じないではいられません。私には、お祭りを楽しむのは、ちょっと不可能です。

 私たちは、チャンネルを変えてしまえば、まったく矛盾する現象がそれぞれに起こっていてもおかしいと思えないような、多重世界を生きているのかも知れません。そのようにすれば、一方ではお祭りを楽しみ、一方では感染症を恐れることができます。もしかすると、そのように割り切って考えることで、楽になるのかも知れません。そして、人類はそのようにして、いろいろなことをやりすごしてきたのだとも思います。

 しかし、現実世界は唯一無二のものであり、関係ないように見えてひとつながりのものであるはずです。あえて不都合なできごとにマスクして見えなくすることはできますが、ブラウザを閉じたからといって、その世界が消えるわけではありません。その結果はもう一つの世界に影響を与えないではいられないはずです。

 複数チャネル化に馴染んでしまった私たちの現実認識が、短期的には心地良くても長期的には不都合な行動を取らせているとき、どのようにして現実世界の唯一性やチャンネル間の対応関係を見えるようにしていくべきなのかが大きな問題であるのかも知れないと思いました。