備忘録

科学技術論を専門とする大学教員・研究者である林真理の教育、研究、生活雑記。はてなダイアリーから移行してきました。

物語としての「子どもの臓器提供」

 ある技術が社会の中に根付くためには、それに対する解釈が必要となる。とりわけ臓器移植について言えば、専門家だけがわかっていればすむ話ではなく、意思表示の問題があるため、個人レベルでの解釈が重要となる。
 「命のリレー」というのは、その受容的解釈を短く表現した非常にわかりやすい文句だろう。そのようにして臓器提供は必ずしも一般的ではないが、受け入れられてきた。
 ただし、これが子どもの臓器提供になると話が少し違ってる。解釈の主体が本人というよりは、親になるからだ。親が子どもに対してしてあげられる良いことは何かという問に答える形で、物語が構成されなければならなくなる。実現できなくなってしまった子ども夢と重ね合わせるというのは、一つの有望な解釈なのだ。
 「世の役に立つ大きな仕事がしたい」ということばは、マスメディアで再生産され、さらにブログ等に引用されて拡散する。言葉が繰り返しなぞられることによって、個人の物語が社会の物語となる。そしてまた、それは個人によって再生産される。それはいつの間にか起こる。大切なのは、物語に対する違和感を口にし続けることだ。